司法書士吉田事務所の歴史(創業期)
司法書士吉田事務所の歴史
このページでは、司法書士吉田事務所の開業から、現在に至るまでの沿革。
平成14年7月に事務所を開業してから、現在に至るまでの「歩み」と「歴史」をまとめています。
今までにどんな出来事があったか。
その時、吉田が何を考えていたかを記しておくことで、自分たちの覚え書きになると共に、お客様に吉田事務所のことを深く知っていただくきっかけになればと考えています。
狭いワンルームマンションでスタートし、その後、事務所の移転は3回あります。
司法書士としての基本的な部分、「変えていけないもの」は変えない。
しかし、吉田がやりたいこと、変化を繰り返しながら、「お客様のお役に立てる事務所になれればいい」という精神で続けてきました。
業務の内容も、債務整理が多かった時代から、現在の相続・成年後見がメインの時代へと、社会のニーズに沿った大きな変動もありました。
メインとなる業務の内容は変わっても、『駅前で、お客様にたくさん来ていただける司法書士事務所を作る』という吉田が開業時に持った思いは、ぶれることなく続いています。
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第1章 創業期
(平成14年〜平成16年) |
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仕事の見込みがないままワンルームマンションで開業。
2年目に、2か所目の事務所に移転。3人体制になった頃の話です。 |
第2章 3人体制になる
(平成17年〜平成19年) |
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2か所目の事務所から、3か所目の事務所に移転する時まで。
初めての司法書士資格者がスタッフに入った頃の話です。 |
第3章 4人〜5人体制になる
(平成20年〜平成22年) |
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男性司法書士スタッフの力を借りて、土曜日や夜間の相談も拡充。
組織的に業務に取り組むようになりました。 |
第4章 女性司法書士の在籍
(平成23年〜平成25年) |
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債務整理業務が減って、後見業務が増え始めた時期。
社会経験が豊かな女性司法書士に在籍してもらうことで、モノの見方、考え方が多角的になります。 |
第5章 一戸建ての事務所
(平成26年〜令和2年) |
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ビルの3階から、道路に面した場所に移転。
開業時にあった、ワクワクした感覚をもう一度経験。
業務の件数も再び増え始めます。 |
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〜第1章〜創業期
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このページでは、司法書士吉田事務所のことを、依頼者の方により深く知っていただくため、開業から今までの歴史、沿革の中で、創業期。平成14年から16年頃の出来事と、当時の司法書士が何を考えて、どんなことに取り組んできたのかについて、まとめています。
司法書士としては2か所の事務所で修行を積ませてもらったものの、事務所経営のことは素人。人を雇用して、事務所を運営できると思って開業したわけではなく、初めてのことばかり。事務所の移転やスタッフの雇用のことなど、必要に迫られて行動を起こす、やってみて初めて分かる、ことの繰り返しでした。 |
平成14年(2002年)
1月 吉田が司法書士として独立を決める
吉田は、平成9年9月から、1か所目の司法書士事務所に勤務。
平成11年3月からは、2か所目の司法書士事務所に勤務しています。
2か所目の事務所に入った時には、「2年程度を目標に独立したい」という希望を、事務所の先生に告げていました。
平成14年1月に、独立時期は「7月」と決定。3月にパソコン購入。4月に請求書のソフトを購入とコピー機の見積もり。少しずつ、自分の事務所の開業準備を進めていくことになります。
勤めていた大阪市内ではなく、吉田が育った堺市での独立開業。事務所の場所は、堺東駅、堺市駅、北花田駅と候補を考えましたが、人の動きを観察して、三国ヶ丘と決めました。
6月 ホームページのアドレス取得
ニフティのアドレスを取得したのは、6月19日。
その後、ニフティのホームページサービスが無くなったことで、独自ドメインを取得しています。
金融機関や不動産業者に営業に行くつもりは、ありません。
「ホームページ経由でお客様に来てもらう」事務所にしたいということを、開業前から考えていました。
7月 司法書士吉田事務所開業
吉田事務所の開業は、平成14年7月1日。
三国ヶ丘駅前の好立地であるものの、家賃45,000円の、狭いワンルームマンションの一室でした。
開業当初、事務所を維持できるほどの仕事のアテはありません。
とにかくコストがかからないように、最小限の規模で立ち上げました。「何とかなるよ」という、先に開業していた司法書士の先輩の言葉が頼りでした。
7月 初業務
勤務時代から自分のお仕事はさせてもらっていましたが、初めての業務は、役員変更登記です。
6月28日(金)、最後の勤務を終えてお客様の会社で書類をお預かりし、29日(土)、30日(日)で荷物の引っ越し。7月1日(月)に大阪本局まで登記の申請に出向き、その足で元々の勤務先に、カギを返却しに行きました。
事務所の構成員は、吉田と栗野の2名でスタートしています。
8月 事務所のメインサイト公開
事務所のホームページを公開。
このサイトは、元々は12ページの、小規模なサイズなサイトからスタートしていますが、業者さんに依頼せず、完全な手作りでした。
ホームページを作っている司法書士事務所は、ごく少数派の時代でした。
まとめ
事務所にかかってきた電話への対応。吉田の携帯電話への転送は、開業1日でギブアップ。
キャッチホンは、一度も使えず。
いろいろな出会いに恵まれて、少しずつお仕事も増えていき、「やることがないからヒマだ」というような時間はなかった、気がします。
平成15年(2003年)
4月 ホームページ制作依頼
これまでは、完全に自作のホームページでしたが、プロの制作業者さんに依頼することになりました。この時出会った業者さんには、今でもお願いしており、基本的な考え方に対して受けた影響は大きいです。
サイトの運営は、安易なテクニックには頼らない。地道なことをコツコツとやっていく、ということです。
以後、大きな枠組みを作る時は業者さんに依頼し、各ページの細かな修正は吉田自身が行う、という方法で運営をしています。
8月 事務所移転(1度目)
開業1年でワンルームマンションが手狭になり、2か所目の事務所です。
オフィス専用のビルに移転。住所は「堺市向陵中町4丁4番1号」。三栄ビルの小さいほうの部屋です。共用部分も含めて10坪弱。2人の席の他に、応接スペースを独立させることができました。
携帯への転送電話は、契約自体を廃止にしました。
名刺から、携帯電話の番号も消しています。
10月 特別研修開始
簡易裁判所の代理権を取得するため、吉田の特別研修がスタートしました。平日は普通に仕事をしながら、土日はほぼ研修で潰れました。
金曜日の夜18時半から21時半までグループ研修、次の土日は10時から17時までグループ研修、という週もありました。
11月 司法書士会で破産の研修会
司法書士会で、大阪地裁の裁判官と書記官を招いて行われた『司法書士作成にかかる破産申立の新書式の利用』に関する研修会。
漫才のような笑いあり、司法書士が裁判所に認めてもらえた。司法書士が裁判所で必要とされている、と感じていた時期です。今となっては昔のことですが、あんな面白い研修会は二度とないだろうと思うくらい、吉田にとっては「伝説の研修会」です。
まとめ
平成15年には、40件の自己破産の申し立てをしています。
司法書士の受任通知に取り立て禁止の効力がなかった時代です。相談に来られてから2〜3日で書類を揃えて、裁判所に自己破産の申し立てをする。裁判所の受付番号を通知して、やっと取り立てが止まる。そして申立費用は回収できないことが多い、という時代でしたが、若くてパワーがあったのと、やりがいが支えでした。
平成16年(2004年)
3月 吉田が簡易裁判所の訴訟代理権取得
司法書士業務をする上では、任意整理ができることになったのが大きかったのと、司法書士の受任通知に、貸金業者に対する取り立て停止の効力(厳密には、現在も司法書士の書類作成業務の受任通知に、取り立て禁止の効力はありません)を生じさせることができるようになりました。
それまでは、大手の消費者金融でも、「司法書士が自己破産の申立の準備中」というのが分かっていても、ご本人に直接の請求の電話を入れたり、中堅の消費者金融は、ご本人の自宅に上がり込んだり、今からは考えられない時代でした。
7月 事務:平岡入所
先輩から「吉田君、そんなことしてたら、身体を壊すで」と言われていたことを思い出します。仕事が増えて、2人ではとても追い付かない。しかし、お給料を支払える自信もない、という葛藤がありました。
募集の時は「1年更新の契約社員」としていましたが、契約の時は「期間の定めなし」としています。ここから3人体制になりました。
平岡の入所までは、登記関係は吉田一人でやっていましたが、以後「事務担当が書類を作成し、吉田がチェックする」というシステムにしています。複数の目で見ることで、ミスを極力減らすことができます。
「司法書士ひとりで何でもやる」ことはできなくなり、役割分担と権限移譲。今の事務所の原型が作られ始めました。
9月 ブログ「吉田浩章の司法書士日誌」をスタート
当時は、「ライブドア」の堀江社長が有名になり始めた時期。プロ野球球団の買収話があったのもこの年です。古い世代に歯向かうホリエモン。新しいツールで、情報発信する姿が格好良く見えて、ブログを真似して始めました。
当時のサブタイトルは、「法律と世の中とお金。『生き方』を考える実務家のブログ」です。
当時の吉田は31歳。世の中が見えているはずもないのに、分かったような気になる年齢でもありました。
12月 ビジネスフォン導入
家庭用の電話機から、ビジネスフォンに変えました。
それまでは、子機を使っていたので、通話状態も良くなかったことでしょう。以後、2回線が同時につながる状態で、同じ機種を使っています。
年末は、平日の最終日28日(火)を残した状態で、年末の休みに突入。
ここまで、がむしゃらに仕事をしてきましたが、12月8日からは受託制限をして、「年内の新規のご依頼はお断り」という、態度の大きなことをしています。
抱え過ぎてご迷惑を掛けないように、無理を避けるようになりました。
当時の同時進行の事件数で70件と記録しています。
まとめ
平成16年は、22件の個人再生の申し立てをしています。これは、吉田事務所の歴史の中でも最大の件数です。自己破産の申し立ても36件でした。
当時は、まだまだホームページを持つ司法書士事務所は少なく、大和川を渡って、大阪市内からも相談者の方が来てくれていました。堺支部の破産係では、書記官の判断で「事務所専用」のレターケースが設けられていましたが、司法書士では吉田事務所のみでした。
堺と岸和田の地裁でも、司法書士が債務者審尋に同席させてもらえるようになっています(その後、大阪地裁管轄では、改めて同席不可になっています)。
一方では、不動産登記も94件、商業登記も30件あり、「債務整理だけ」の事務所を目指すつもりはありません。『司法書士の基本は登記である』ことは意識していました。
相続・名義変更のご相談は、堺市堺区・三国ヶ丘の司法書士吉田法務事務所へ
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