事務所の歴史(3人体制)
〜第2章〜3人体制になる
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このページでは、司法書士吉田事務所のことを、依頼者の方により深く知っていただくため、開業から今までの歴史、沿革のうち、3人体制になった後。平成17年から19年までの時期に、司法書士が何を考えて、どんなことに取り組んできたのかについて、まとめています。
若くてみんな独身だった頃は、よく仕事をして、その分、よく遊んで。海外にも二度行けて、自由で楽しかった時期です。 |
平成17年(2005年)
1月 日経キャリアマガジンにブログが紹介される
日経キャリアマガジン(日本経済新聞社)という雑誌の「編集部厳選!!テーマ別役立ちブログベスト3」というコーナーで、「士業者のブログ」の分野で、吉田のブログが『BEST3』で紹介されました。
紹介文は「司法書士である筆者が、毎日の仕事をリポート。ただ事実を並べるだけでなく、司法書士のあり方、仕事の問題点などを鋭くえぐっている」とあります。
日経キャリアマガジンは、こちらがお金を払って載せてもらったものではなく、純粋に出版社から「掲載していいですか」と連絡があったものです。
※自費出版や、広告料を払って有名人との対談形式の広告を出さないか、という類の勧誘は、たくさんあります。
3月 三国ヶ丘駅に看板広告を出す
三国ヶ丘駅の看板広告は、利用者にとって便利かな〜と思い契約。
しかし、あまり効果を感じず、何年かで止めています。
7月 開業3周年(上海旅行)
開業3周年の記念にと、事務所のメンバーで上海旅行。
みんな独身のため、自由でした。よく働きました。
その分、よくご飯に行って、そんな日常を楽しんでいました。
9月 FP試験を受験
吉田は2級。栗野と平岡は3級を受験。
仕事で忙しい中、それぞれが勉強して、みんなで新しいことにチャレンジしていく。今から思うと、若い時にいろんなことを勉強して、いろんな経験をしておくことは、とても大事なことだったと思っています。
12月 吉田がAFP登録
FPの勉強をしたのは、債務整理の現場に「FPの考え方」を持ち込むためでした。
多重債務の問題、「悪の根源は高金利である」という司法書士業界の風潮に、いや「個人個人がお金の使い方を考えないといけない」と考えたためです。
「高金利は悪」の前に、FPとして「お金の使い方を考えよう!」と訴えれば、業界や世間の風潮が変わるのではないか、と吉田は考えていましたが、無力でした。
12月 「家計相談サイト」を公開
元々の名称は「司法書士・FP吉田浩章の生活改造計画」という家計相談サイトを公開。
債務整理の業務が多い中、司法書士兼AFPとして、家計に対する考え方をお伝えするサイトでした。
サイトの紹介文は「借金返済で困らないために。生活設計、家計診断、多重債務整理、個人と事業者のお金全般の相談等」です。
フラット35の取次店の登録をしていた時期もありましたが、専門的に取り組むことができなかったため、サイトも含めて閉鎖しています。
まとめ
土日に接客の予定を入れなくなりました。
吉田の土曜日は、書類の片付け。日曜日は、読書。
若くて仕事が増えた時に、仕事だけにハマるのではなく、本をたくさん読めたことが、その後、自分の役に立ったと思っています。「成功者に共通することは、大量の本を読んでいることである」という言葉を、吉田は心に留めています。
平成17年は、不動産登記の申請件数が初めて3ケタになりました。
商業登記の申請件数67件は、史上2番目の数字です。
自己破産35件、個人再生14件、任意整理215件と、土日の受託を制限しても、お仕事には恵まれていました。
平成18年(2006年)
4月 堺市が政令指定都市になる
堺市が政令指定都市になりました。
区制施行で、『向陵中町』が『堺市堺区向陵中町』に。
当時は違和感がありましたが、「堺区」の表示は慣れてしまえば普通になります。
5月 会社法施行
商法から会社法に切り替わった時です。
会社法施行に関する情報が少ない中、5月1日の施行日初日から株式会社の設立登記、有限会社から株式会社への移行の登記申請があり、バタバタしていました。
この時、「いずれ有限会社はなくなるのではないか」と言われていましたが、現時点でも会社法施行前に設立された有限会社は、そのまま存続できています。
6月 事務所の移転計画取り止め
「同じビルの広い部屋が空いた」ということで、3人で見に行きましたが、部屋の汚れ方、壁紙の黄ばみ方を見て、却下。この件に限らず、「何となく」嫌なのか、良いのか、という感覚は、結構大事です。
10月 コピー機の入れ替え
開業時に入れたコピー機は買い取りでしたが、回転の速いコピー機に。仕事をするのに便利な機能(今では当たり前になっているスキャン+PDF)優先で入れ替えました。
12月 短期のアルバイトさん採用
冗談で「元銀行員さんがいい」と言っていたら、本当に元銀行員さんが来てくれました。事務作業のスピード、テンキーを叩く速さにびっくりでした。
まとめ
引き続き、土日は接客業務を入れず、吉田はたくさんの本を読んでいました。
お金の問題、経営の他、接客のことも学び、「司法書士はサービス業である」と考えるようになりました。宿泊先の旅館で、サービスのことを学ぶことも多かったです。それなりのサービスを受けたいならば、それなりの料金を支払わないといけない、という、ごく基本的なことです。
自己破産35件、個人再生は10件、任意整理314件と、債務整理業務が多い中、不動産登記は180件と、今と変わらない件数。商業登記は59件と、今より多いくらいの件数を取り扱っています。
平成19年(2007年)
2月 メインサイトに似顔絵を掲載
今では、ホームページへの「顔出し」は必須です。
文字でいくら説明するよりも、写真1枚で伝わることがたくさんあると考えていますが、メインサイトの「事務所案内」ページに、やっと似顔絵を掲載しました。写真を載せるのはまだ抵抗がある、と感じていた時代です。
2月 タウンページ(電話帳)に初掲載
タウンページ(電話帳)に、初掲載。
ホームページからたくさん相談が来ている中、なぜ高い広告に手を出したのか。しかし、特に高齢の方など、ホームページにアクセスできない方々からのニーズはありました。地域のフリーペーパーにも、広告を出していました。
2月 PDFによるデーターの保存を開始
紙による記録が膨大となり、後になって紙の保管場所になることになります。この時までは、不動産登記の事後謄本も「何でもコピー」で残していました。
4月 事務所で香港旅行
事務所で二度目の旅行。
平日を1日潰して旅行に行く=電話が鳴っても取れない、という無茶なことをしていますが、異国の地で、見るもの全てが新鮮。素晴らしい経験です。
6月 エクセルでの予定表の管理
ホワイトボードに手書きで管理していた事務所の予定表から、エクセルの共有ファイルで管理するようになりました。
吉田の予定は、吉田が不在でも、事務所で入れることができるシステムは、現在も継続しています。
10月 森高司法書士入所
念願の司法書士資格者の入所です。
事務平岡の産休がきっかけで、事務所の体制が大きく変わりましたが、森高司法書士には、吉田と退所時間が同じになるくらい、よく働いてくれました。また、後には、土曜や夜間の相談も担当してもらうことになります。
10月 栗野がAFP登録
3級からスタートしたため、吉田から遅れましたが、栗野もAFP登録。
事務的な計算、細かなシミュレーションは、栗野が担当しています。
11月 事務所移転
三栄ビルの狭い部屋から、広い部屋に移転しました。
予備の応接スペースも確保し、来客がかぶっても対応できるようになっています。
同時に、事務鎌田が入り、3名体制から5名(平岡産休・育休中は4名)体制になりましたが、「事務所を大きくしたい」という欲求があったわけではなく、「必要に迫られて」でした。
まとめ
任意整理による和解、判決が817件ありましたが、私の事務所では、この年が債務整理のピークでした。前年1月の最高裁の判決を機に、「過払い」が認知されやすくなり、債務整理に取り組む司法書士が増え始める時代でした。
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